2025年10月16日
知覧
鹿児島中央駅からバスで知覧へ
バスの終点、知覧平和公園へ、何十年前になるか一度来たことがあるが、随分変わってしまっている


公園に入っていきます

陸軍一式戦闘機「隼」3型項甲のレプリカ

何機かのレプリカが広場に飾られています。右奥に小さく撮れている灯篭の大きい方は、昭和31年建立参道脇の
鳥濵トメさんの灯ろう かな

特攻勇士の像


母の像「やすらかに」


何か胸が締め付けられてゆっくり見ていられませんでした、じっと特攻機を見ているよう


知覧特攻平和観音像参道 毎年5月3日慰霊祭が行われている

大きな 灯籠

知覧特攻平和観音堂

平和観音堂の説明

三角兵舎跡へ

復元された 三角兵舎

空襲を避けるため飛行場より離れた松林の中に造られた。特攻隊員はここで出撃までの数日間待機したという。生還のない死への待機、どんな気持ちであっただろうかと思うと、とても私には耐えられない

特攻平和会館
飛行場跡地の北端に建てられている,会館内の展示を見学しました



ホタルの碑
映画での1シーン見たのを思い出した

知覧特攻平和会館の前の道

観音堂に続く道、全国の遺族、関係者,有志から寄進された灯ろうが並ぶ


桜の時期は綺麗だろうな

知覧平和公園を見学しました、まだまだ周辺の関係戦争遺跡がありますが、この辺で終えて公園を後にします。緩やかな坂を下って行きます

暫く下って行くと右に、湊橋前の薩南工業高校があります。その北側の麓川を渡ったところにある

島津墓地
曹洞宗松峰院西福寺跡 で歴代知覧の城主佐多氏の菩提寺であった。
文和2年(1353)から地頭として4代島津忠宗の第3子の忠光から明治2年版籍奉還までの22代の歴代領主と家族が眠っている、古い墓所。
墓地の下の駐車場

南九州市指定文化財 島津墓地の標柱









島津墓地をあとに知覧市街中心地に進みます

知覧城 跡
市役所から南に1㎞程行くと、知覧城跡(国史跡)の出ますが寄るのは諦めます。
初代城主は、郡司知覧四郎忠信と伝えられ、その後、島津忠宗の三男佐多忠光に与えられた。一時伊集院しが支配したが、再び応永27年(1420)佐多氏の居城となる。そして16代久達の時島津姓となり明治まで続く。中世の山城を維持し、南北800m、東西900mであった。

慶長20年(1615)出火により炎上、一国一城令の前に廃城となる。その後は館として「麓」(ふもと)に城下を形成された。残念ながら城跡は見学は出来なかった

右手に知覧城跡の山城を見て、西に麓川に沿って進んでいくと
富屋旅館
特攻の母鳥濵トメ資料館「ホタルの館」
鳥濵トメさんの生涯を特攻隊員とのふれあいの遺品、写真をおりまぜ、今まで語られなかった真実の特攻隊員をトメの証言通り当時の場所に資料館としてトメの娘 赤羽礼子さん、トメの馬子鳥濵明久が復元しました。隣接する冨屋旅館は、昭和27年、遺族を知覧に泊めるためにつくられた。(資料館パンフより)
一つしかない命を投げ捨てて 散っていった 若者達の事—- 忘れてはならない
わたしは みんなの お母さんになりたかったの——
鳥濵トメ




南側の 麓川に架かる麓橋

麓橋を渡り「知覧麓」の武家屋敷群 に入る知覧伝統的建造物保存地区に指定されている

武家屋敷群の西の入り口辺り

舊領主御仮屋跡



知覧 麓(ふもと)
切石や玉石を積んだ石垣にイヌマキの生垣、瓦葺きの切妻造りの武家門など旧麓の景観が綺麗に残る。また今も住民の方が住んでおられるので、一部を除いて中に入ることができない. でも綺麗です


旧西郷庭園


平山亮一庭園



稽古所跡
郷士たちが朝晩ここに集まり、剣術や勉学に集まった場所




チリ一つない見事ですね

知覧型二ッ家民家





佐多美舟庭園


佐多民子庭園




佐多直忠庭園





旧高城家住宅






森重堅庭園




7つの 知覧麓庭園(国名勝)が公開されています。ゆっくり庭園を見るには少し時間がなく急ぎました


東の麓を出て一応知覧の見学を終わり矢櫃橋を渡ります

東の入り口を振り返る、知覧見学も終わり再びバスで鹿児島に戻る

知覧 5日目終わり


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